タイムトラベル物のSFにおいて、時間をどういう形に設定するか、色々な形があります。
循環型(ループ物)
過去の事件を調べにタイムトラベルをしたら、タイムトラベラーが過去の事件の原因だった、などの物語です。
選択型(Y字)
沢山のY字に選択肢が連続していて選んだ未来が現実になる。
『ターミネーター』1作目は一見循環型に見えます。
循環型だと信じ込んでいる方は『T2』以降を蛇足だと考えるようですが、『ターミネーター』だけをよく見ても循環型でないのは解ります。
選ばれなかったY字の先が『可能性の未来』です。
『ターミネーター』が循環型なら希望はありません。
平行型(パラレルワールド)
『仁』の劇中の説明が解りやすいのですが、タイムトラベラーが辿り着いた過去は元の世界の過去ではなく、よく似た平行世界の過去だったという設定。
元々はタイムパラドックスを解消するために考え出された概念ですが、この場合厳密にはタイムトラベルではなく別世界への旅です。
平行世界は元々存在したのか?
タイムトラベラーが観測することで発生するのか?
シュレディンガーの猫ですね。
この設定のタイムマシンは厳密には別世界製造機なのかも。
矢印型(一方通行の道)
現実の時間の形はどうなのでしょう?
私は1本の線だと考えています。
「未来は1つに初めから決定されているが、我々は自由に未来を選択出来る」
人間の意識は、時間を過去から未来への一方通行と認識しています。
原因があるから結果があるのですが、どんな選択(原因)をするかで未来の可能性(結果)は無限です。
でも選択することが出来る未来は1つだけなのです。
もし我々と反対方向にだけ時間の流れを認識する存在がいたら、未来(結果、彼らにとっての今)の原因は複数想像出来るけれど実際の過去(原因)は1つというわけです。
例えるなら1本の映画を観ているようなものです。
初見の映画はこの先どうなるか色々想像出来ますが、結末は決まっています。
時間の流れを逆に生きる存在の視点は、映画を逆再生している状態です。
タイムトラベルが実現しても映画をスキップしているようなものなので、タイムパラドックスは発生しません。
過去に行って父親を殺せないのは、未来の自分が存在することで初めから証明されているのです。
選択波及型
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は選択型に似ていますが、ちょっと違います。
過去の改変が未来にも(タイムトラベラーにとっての過去にも)波及します。
写真が変化することで未来が変わってしまう恐怖を描くというのは秀逸ですが、厳密には完全に未来が変わったらタイムトラベラーの記憶も書き換えられて変化を認識出来なくなるべきでしょう。
劇中では複数の同一時間の記憶を持ったままでした。
幻の記憶?
設定の厳密さより脚本の面白さを優先したという事でしょうね。
娯楽映画としては正しいと思います。
ターミネーターの時系列
ターミネーターのストーリーの全体像